尾頭橋交差点にある、文政4年(1821)に
佐屋街道の旅籠(はたご 旅館)が建てた道標 |
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尾頭橋(おとうばし)は、堀川がつくられたころにかけられた「堀川七橋(ほりかわななはし)」の一つで、堀川の一番下流にかかっていた橋です。この橋は、佐屋街道(さやかいどう)がとおるたいせつな橋でした。 東海道の熱田から桑名(くわな 三重県)までは、海を船でゆく「宮の渡し」(みやのわたし)がありましたが、波が高いと船は出せませんし、船よいになる人もいました。このため、「佐屋街道」をとおって歩いてゆく人もたくさんいました。 佐屋街道は、熱田から北に進み、尾頭橋から西へ五女子(ごにょうし)、長良(ながら)、岩塚(いわつか)をとおって、今の佐屋町(さやちょう)まで陸を行き、そこから船で佐屋川、木曽川(きそがわ)をくだって桑名へ行く街道です。 ここには昔から津島(つしま)方面に行く道があり、慶長20年(1615)には徳川家康が大軍をつれてこの道をとおって大坂(大阪)に行き、豊臣方(とよとみがた)と戦ってほろぼしました。これを「大坂夏の陣(おおさかなつのじん)」といいます。その後、三代将軍(しょうぐん)家光(いえみつ)も京都からの帰りにここをとおっています。
寛文6年(1666)には幕府(ばくふ)の道中奉行(どうちゅうぶぎょう)が管理する日本でも主要な街道になり、ますますにぎわうようになりました。
(CD 堀川ミュージアムより)
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