古くからあるよく知られた橋なのに、どうして「納屋橋」(なやばし)と名付けられたのか、はっきりせずいろいろな意見があります。納屋(なや)は物を入れておく倉庫のことです。
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近くの町名から名付けられた?
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以前は橋の西側に「納屋町」という町がありました。魚屋さんが多く、「魚屋」(なや)から「納屋町」とよばれた、または倉庫が多いから「納屋町」とよばれたといわれています。その近くの橋だから「納屋橋」と名付けられたというわけです。
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尾張藩(おわりはん)の蔵(くら)から名付けられた? | |
納屋橋の南東には、尾張藩の米を入れる大きな蔵がたくさんありました。米をしまっておく納屋の近くにかかる橋だから「納屋橋」と名付けられたというわけです。
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さて、どちらが本当でしょうか? まず、「納屋町」から生まれたという意見ですが、清洲(きよす)から町ぐるみの引っこしがほぼ終わって名古屋の街にたくさんの人が住むようになったのは、堀川がつくられた時より少しあとの慶長18年(1613)ころからです。橋をかけたころに、そんなにたくさんの魚屋さんや倉庫がこの近くにあったのでしょうか。 もう一つの「藩の蔵」から名付けられたとの意見ですが、昔の地図には「御蔵」(おくら)と書かれ、「納屋」と書いてあるのはありません。尾張藩の大切な蔵で「蔵」の前に「御」の字までつけて書かれているところを納屋とよんだのでしょうか。
どちらの意見が正しいのか、今となってはわかりません。
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