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堀川ができたころにかけられた橋を「堀川七橋(ほりかわななはし)」とよびます。 上流から五条橋(ごじょうばし)、中橋(なかばし)、伝馬橋(てんまばし)、納屋橋(なやばし)、日置橋(ひおきばし)、古渡橋(ふるわたりばし)、尾頭橋(おとうばし)です。 伝馬橋は名古屋と中山道(なかせんどう)の垂井宿(たるいじゅく)を結ぶ美濃街道(みのかいどう)がとおっていました。尾頭橋は東海道の脇街道(わきかいどう、今のバイパス)で、熱田から佐屋(さや)を通り桑名(くわな)まで続く佐屋街道(さやかいどう)が通っていました。どちらも大名行列など、たくさんの旅人がとおり、にぎやかな橋でした。
また、七橋のうち五条橋と伝馬橋は清洲(きよす)の五条川にかけられていた橋を名古屋に運んできたと伝えられています。 川が広い下流部には橋がなく、人々は今の大瀬子橋(おおせこばし)や白鳥橋(しろとりばし)などの所にあった、渡し船を利用していました。
(CD 堀川ミュージアムより)
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