犬山からの船がとおった元杁樋門(もといりひもん)


守山区にある水分橋(みずわけばし)のたもとに元杁樋門があります。
  外からは見えませんが、樋門(ひもん)の中に入っていくと壁(かべ)のところどころに鉄の輪
が取りつけられています。何に使ったのでしょう。

 むかし、名古屋から北へ25キロはなれた木曽川(きそがわ)ぞいの犬山から名古屋まで、新木津用水(しんこっつようすい)と堀川を利用して船での運送が行われていました。
 明治19年(1886)愛船株式会社の開業式が行われ、県令(いまの県知事)が「今まで犬山から名古屋までの輸送に7日あまりかかったが、わずか4時間でできるようになった」とお祝いの言葉をのべたように、大はばに輸送時間が短くなりました。毎年6月から9月までの、用水を農業に使う期間をのぞいて、船がとおっていました。

 樋門に今も残る赤さびた鉄の輪には、かつてはこれに鎖(くさり)がとおされ、まっ暗な樋門の中、船頭さんは全身の力をこめてこの鎖を引いて船を進めていました。おもに木曽川の石や犬山の氷室(ひむろ 氷を保存しておくあな)の氷、乗客を運んだと伝えられています。

 大正元年(1912)に、名古屋と犬山をむすぶ鉄道が開通し、この航路はだんだん使われなくなり、ついに大正13年(1924)に愛船株式会社は運航をやめました。

 今は静かにたたずむこの樋門は、約40年にわたって名古屋と犬山をむすぶ幹線輸送路として使われていたのです。

  (CD 堀川ミュージアムより)