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熱田宿(あつたしゅく)は熱田の宮があるので、宮の宿(みやのしゅく)ともよばれていました。 江戸から41番目の宿場で、ここまで来るのに13日前後かかったと言われています。 大名がとまる本陣(ほんじん)は赤本陣・白本陣の2つ、一般の人がとまる旅籠(はたご 旅館)は248あり、旅籠の数は東海道で一番多い宿でした。 このほかに、尾張藩(おわりはん)のお客様をとめるために、海の中にお城のような東浜御殿(ひがしはまごてん)がつくられ、今の市営神戸荘(ごうどそう)のところには西浜御殿(にしはまごてん)がありました。
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人や荷物を運ぶ問屋(といや)には、100人の人足(物を運ぶ人)と100頭の馬が用意されていました。武士(ぶし)は問屋で用意している人や馬を使い、それ以外の人は自分で馬を持っている人と交渉をして運んでもらいました。 また熱田宿には、よその宿場にはない「御朱印改役所」(ごしゅいんあらためやくしょ)がありました。幕府(ばくふ)のえらい人が出した「朱印状」(しゅいんじょう)というものを持っていると、ただで人や馬を使うことができましたが、この「朱印状」が本物かどうか調べるのがこの役所の仕事でした。
熱田宿は、旅人がとまるだけでなく、名古屋から遊びに来る人もたくさんいました。海の景色とおいしい料理を楽しみに来たのでしょう。ここにあった茶屋で「どどいつ節」という歌がうまれ、全国で流行しました。これを記念した石碑(せきひ)が姥堂(うばどう)にたてられています。
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伝馬町と神戸町がまじわる、熱田宿の中心。神社は、東海道を行く人の守り神といわれた「源太夫社」。手前の道を行くと江戸へ、左の道を行くと宮の渡しの船着場に行きます。かごや馬に乗る人、荷物を運ぶ人、たくさんの人でにぎわっています。
(CD 堀川ミュージアムより)
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伝馬町にある、寛政2年(1790)に建てられた道標
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