清洲から移築した五条橋


 名古屋はこの地方の中心地だった清洲(きよす)が、町ぐるみひっこして生まれました。
 さむらいや町人がひっこしたのはもちろん、清洲城(きよすじょう)の天守閣(てんしゅかく)も名古屋に運んできました。今でも名古屋城の清洲櫓(きよすやぐら)として親しまれています。お寺や神社もひっこしてきました。
 もとは清洲を流れる五条川にかかっていた五条橋も、ひっこしてきました。五条橋のぎぼし(橋のらんかんの先についているねぎぼうずのような形をした物)には「慶長七年」(1602)ときざまれています。堀川がつくられたのは慶長15年(1610)ですが、それよりも8年も前の年号がきざまれているということからも、清洲から運んできたことがわかります。
 五条橋はその後なんどもかけかえられましたが、今は市内ではめずらしい石のらんかんの橋になっています。ぎぼしも当事のものは名古屋城で保管され、複製されたものが取りつけてあって、近くの四間道(しけみち)とともに、昔のふんいきを伝えています。
 五条橋は、名古屋市の都市景観重要建築物に指定されています。

  (CD 堀川ミュージアムより)




 江戸時代の五条橋。手すりや歩くところはもちろん、川の中に建っている橋脚も木でできていました。 (

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